その他
Oct 1, 2024
ゲスト
出井 康博

東京・杉並区で500坪の農地を運営する出井康博さんをゲストに迎え、都市農業の現場を語っていただきます。朝、日が昇る前に収穫された枝豆、花が付いたままの採れたてキュウリ、甘みが濃い中玉トマト。新鮮な野菜の魅力を語りながら、彼らが直面する厳しい現実も浮き彫りになります。500坪で精一杯作っても年間売上は200万円に届かず、相続税の負担で代替わりのたびに農地は減少。東京23区で農家が残る区は半分以下となり、毎年50〜60ヘクタールずつ農地が消えています。しかし、防災や食育、地域との繋がりという観点から、都市農業が持つ価値は計り知れません。採れたての野菜の味わいと、都市に残る農地の意義を感じてください。
枝豆やトウモロコシは、日が昇ると甘みが実から葉へ移ってしまうため、日の出前に収穫するのが鉄則です。この対談で紹介された「湯上がり娘」という品種の枝豆は、通常より長く10分以上茹でることでホクホクとした食感になり、お芋のような甘さが際立ちます。キュウリは最盛期に1日150〜200本が収穫され、スーパーの3倍の大きさで2本100円という驚きの価格。花が付いたままの採れたてキュウリは、冷やして塩をつけるだけで最高のおつまみになります。さらに興味深いのは、枝豆が肥料を必要としないという特徴。鮮度こそが野菜の真価を引き出す。都市農業だからこそ実現できる「採れたて」の贅沢がここにあります。

東京23区で農家が残っているのは、もはや半分以下の10〜11区程度。毎年50〜60ヘクタールずつ農地が減少し、このままのペースでは数十年後にはゼロになる可能性もあります。かつてバブル期に大前研一氏が「東京の農地を潰して全部住宅地にすべき」と発言したことに対し、都内の農家は今でも恨みを抱いています。しかし、その発言が反面教師となり、直売システムや体験農園、防災への取り組みなど、地域と繋がる工夫が生まれました。都心のアスファルトとコンクリートの中に、舗装されていない道や農地が残っていることは「大地が息をしている」証であり、住民にとっての心の救いでもあります。農地は防災上のオープンスペースとしても機能し、食育の場としても重要な役割を果たしているのです。
500坪という広さで精一杯作っても、年間の売上は200万円に届きません。これは売上であって利益ではなく、肥料代や労働コストを引けば採算を取ることは極めて困難です。さらに深刻なのが相続税の問題。代替わりのたびに重い税負担がのしかかり、農業を続けたくても土地を手放さざるを得ない仕組みになっています。農業を続ける限り税金を軽減するなどのインセンティブがなければ、都市農業の未来は暗いと言わざるを得ません。しかし、彼らは採算度外視で野菜を作り続けています。それは、地域住民に新鮮な野菜を届けたいという想いと、都市に緑を残したいという使命感があるからです。経済効率だけでは測れない価値が、都市農業にはあるのです。

朝採り枝豆が教える「鮮度」の哲学
日の出前の収穫。甘みを守る農家の知恵と朝の労働相続税が奪う東京の緑
年間売上200万円の現実。採算を超えて農地を守る理由アスファルトの中の「息をする大地」
防災・食育・地域の繋がり。都市農業が持つ数字にできない価値
朝採りの枝豆とキュウリを前に語られる都市農業の現場は、喜びと苦悩が入り混じったものでした。採れたての野菜の美味しさは格別で、それを地域の人々に届ける喜びは何物にも代えがたいもの。しかし、年間売上200万円にも届かない厳しい現実、相続税という壁、そして毎年減り続ける農地。都市農業は存続の危機に瀕しています。防災、食育、地域との繋がり、そして何より「大地が息をしている」ことの大切さ。都心のコンクリートジャングルの中に、ぽつんと残る農地は、私たちに生きることの本質を思い出させてくれます。採れたての枝豆を頬張りながら、都市農業の未来について考えさせられた対談でした。
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