藤井 厳喜


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トランプはアメリカのデモクラシーを破壊している。日本のマスコミも大手メディアもそう叫ぶ。しかし藤井厳喜が問いかけるのは、その前提そのものが間違っているのではないかということだ。「デモクラシー」を「民主主義」と訳した瞬間、本来の意味は消え、誰でも都合よく使える言葉に変わってしまう。トランプが守ろうとしているアメリカ憲法の原点とは何か。フランクリン・ルーズベルトの時代に保守とリベラルが入れ替わった理由とは。そしてグローバリズムとデモクラシーがなぜ絶対に相容れないのか。言葉の定義を一つ正すだけで、世界の見え方が根本から変わる。最後まで読めば、ニュースが別の顔を見せてくる。
「民主主義」という言葉はじつは日本にしか存在しない。藤井が政治学の一丁目一番地として繰り返し指摘するのが、この翻訳の問題だ。デモクラシーは「思想・主義(ism)」ではなく「国家の統治形態」のことを指す。オートクラシー(独裁制)、アリストクラシー(貴族制)と並ぶ体制の一類型であって、それを「主義」と訳してしまうと、誰でも自分の都合のいいイデオロギーに「民主主義」のラベルを貼れるようになってしまう。事実、アメリカの左派はグローバリズムと言論統制を「民主主義の守護」と呼んでいる。言葉の定義を正確に押さえるだけで、マスコミの報道がいかに恣意的かが透けて見えてくる。

アメリカ建国の原点は「王権からの独立」「個人の自由」「分権主義」だ。第3代大統領ジェファーソンは連邦政府すら不要だと主張したほどで、これがリベラルの出発点だった。ところが、ルーズベルト政権下でソ連の社会主義に影響された「大きな政府」路線が民主党を支配するようになり、保守とリベラルの立ち位置は完全に逆転した。現在、ジェファーソン的な「小さな政府・個人の自由・分権」を掲げているのはトランプの共和党であり、「検閲・統制・グローバリズム」を推し進めているのが民主党だ。この歴史的な入れ替わりを知らずに今のアメリカを語れば、話は必ず逆さまになる。

国家なきところにデモクラシーは存在できない。国境を守り、憲法を守り、愛国心を持った市民が自分たちを治める体制こそがデモクラシーの本質だからだ。グローバリズムはその国家の壁を溶かすことで成立する思想であり、構造的にデモクラシーとは相容れない。バイデン政権が国境管理を事実上放棄し、3年余りで1500万人規模の違法入国を許したのはその実践だ。副大統領として同じ政策を担ってきたカマラ・ハリスが「民主主義の守護者」を名乗るのは、まさにこの言葉の乗っ取りによって成立している。そしてトランプが「Make America Great Again」と叫ぶのは、建国当時のデモクラシーを取り戻せという、至極まっとうな保守の叫びだということが、ここまで読めば当然の話として見えてきます。

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「デモクラシー」を「民主主義」と訳した日
言葉の定義一つが、政治の本質をすべて見えなくする構造的なトリックの正体保守とリベラルが逆転した歴史
ルーズベルトが変えたアメリカの地図国境を消す者がデモクラシーを殺す
グローバリズムと民主国家が絶対に相容れない構造的な理由
「デモクラシーを民主主義と訳したのは誤訳だ」という話は、最初は言葉遊びに聞こえました。でも聴き終わると、これが全ての議論の土台にあるんだとわかる。定義がずれたまま議論が続いてるから、トランプが独裁者に見えたり、民主党が自由の守護者に見えたりする。アリストテレスまで遡って「統治形態の類型」として整理されると、たしかにすっきりする。くじ引きで国会議員を選ぶ案は笑いながら聞いていましたが、あながち冗談でもないかもと思い始めています。

国際政治学者。ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向、そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜くその予測能力は、内外の専門家から高く評価されている。
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