「楽しみは」で綴る

「楽しみは」で綴る

橘曙覧のしあわせ哲学

橘曙覧のしあわせ哲学

橘曙覧

時代がどう変わろうとも、変わらず人の心に響く“喜び”がある。今回紹介するのは、幕末の国学者・歌人の橘曙覧。彼が綴った52首の「独楽吟」には、日々の暮らしの中にある小さな幸福が詰まっています。読み進めるうちに、「自分にとっての喜びって何だろう?」と問いかけたくなるはず。最後まで目を離さず、ご覧ください!

 

1. 幸せは日常に宿るという視点

1. 幸せは日常に宿るという視点

橘曙覧が詠んだ「独楽吟」は、華やかさとは無縁の、等身大の喜びを描いた和歌集。草の香りに癒されたり、家族と食卓を囲むひとときを“楽しみ”として表現しています。物質的な豊かさではなく、精神的な充足こそが本当の幸福だという、現代にも通じる価値観が読み取れます。

2. 家族の時間が持つ圧倒的な力

2. 家族の時間が持つ圧倒的な力

和歌には、妻子と頭を寄せ合って食事をする場面や、子どもが魚を食べて喜ぶ様子が描かれています。日々のあたりまえが、かけがえのない“宝物”であるというメッセージがにじみ出ており、今を生きる私たちにも、足元の幸せに目を向ける大切さを教えてくれます。

3.現代人にも応用できる“独楽吟”の精神

3.現代人にも応用できる“独楽吟”の精神

現代に生きる私たちも、同じように日常に喜びを見出すことができます。石鹸の香り、湯船に足を伸ばす瞬間など、小さな幸福を見逃さない感性は、忙しさに追われる日々を見直すヒントになるはず。自分自身の“独楽吟”を詠んでみることは、自己理解を深める行為にもなります!

4.代表作の紹介

4.代表作の紹介

『たのしみは 草のいほりの筵(むしろ)敷(しき)ひとりこころを静めをるとき』

草の香りが漂う簡素な庵で、一人静かに心を整えているときの喜び。物や刺激に囲まれる現代だからこそ、「孤独」と「静けさ」を肯定するこの詩の感性が、むしろ新しく感じられます。忙しさに飲まれる私たちに、「ひとりの時間」の大切さを教えてくれます。


『たのしみは 妻子(めこ)むつまじくうちつどひ 頭(かしら)ならべて物をくふ時』

もっとも有名な一首。貧しくても、家族全員で頭を寄せ合い、ごはんを囲む時間にこそ、人生の本質的な幸せがあると歌っています。豪華な食事ではなく、「誰と、どんな心で食べるか」に目を向けた、現代にも深く響く価値観です。


『たのしみは まれに魚煮て児等皆が うましうましといひて食ふ時』

たまに手に入る魚を煮て、子どもたちが「美味しい!」と喜んで食べる様子を喜びとする一首。日常の中の非日常。ちょっとしたごちそうを家族で味わうことの豊かさが、温かいまなざしで描かれています。ささやかな出来事に喜びを見出す眼差しは、まさに独楽吟の真骨頂です。

内容紹介

内容紹介

  1. 日常に喜びを見つける「たのしみは」の美学

    「高望みしない」豊かさを、和歌に見る。


  2. 本の一頁に宿る、知のときめき

    橘曙覧が教えてくれる「知的興奮」というささやかな幸せ。


  3. 家族団欒、湯船の一息、石鹸の香り

    現代にも通じる“独楽吟”式・小さな悦びの発見術。

編集後記

編集後記

橘曙覧の歌を通じて、「幸せとは何か?」を改めて考えさせられました。肩書や経済的な豊かさではなく、“今この瞬間に心が動くかどうか”。現代のスピード社会にこそ必要なのは、この感性なのかもしれません。ふとした日常に宿る喜びを、私たちももう一度味わってみたいですね。

 

プロフィール

プロフィール

橘曙覧

橘曙覧

幕末の越前藩(現在の福井県)で活躍した国学者・歌人。生活の中の小さな喜びを詠んだ「独楽吟」で知られ、飾らず真っすぐな心情を表現した短歌で後世に影響を与えた人物。勤王の志を持ちつつも公職には就かず、家族との日常や自然の恵みを愛し、独自の美意識と価値観を貫いた思想家として、日本の近代文学にも大きな足跡を残している。