藤井 厳喜


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「男だったら一つにかける」誰もが知る銭形平次のテーマソング。でも、その生みの親・野村胡堂という人物のことを、どれだけ知っているだろうか。藤井厳喜が読み解くのは、単なる大衆小説作家の話ではない。貧しさの中で東大を中退し、49歳で初めて書いた作品が26年・383編のシリーズに育ち、そのロングセラーで得た富を若者への奨学金と学術研究に捧げた男の話だ。さらにはクラシック音楽評論の先駆者として、夏目漱石に直接インタビューした記録まで残している。"古き良き日本人の知識人・真の教養人"の生き方が、ここに凝縮されている。最後まで読めば、明治という時代が、案外すぐ隣にあったことに気づかされる。
銭形平次といえば時代劇の定番ヒーローだが、藤井が注目するのはその作者・野村胡堂の「遅咲き」の人生だ。本名・野村長一(おさかず)。明治15年生まれの野村は、東大法科に進むも学費が続かず中退。報知新聞の社会部長として働きながら、小説を書き始めたのはなんと49歳のとき。昭和6年に文藝春秋の創刊号へ掲載した「銭形平次捕物控」は即座に映画化され、以後昭和32年まで26年間で383編が書かれた。「やりたいことを若いうちにやらなきゃ」という常識をあっさり覆す話であり、何歳から始めても本物は本物になれるという静かな証明でもある。

晩年、大衆小説家として大きな成功を収めた野村胡堂は、その富を自分の豪遊には使わなかった。毎月末になると奥さんと二人で封筒に金額を書き、何十人もの若者に奨学金を送り続けた。さらにアイヌ語研究で知られる金田一京助とは中学の同窓生という縁もあり、学術研究への資金支援も惜しまなかった。最終的に設立した「野村学芸財団」の基本財産は当時で1億円。現在の価値に換算すると10億円規模とも言われる。藤井はここに「本当のインテリの品格」を見る。稼いだら使う。でも自分のためじゃなく、次の世代のために。そういう生き方がかつての日本には確かにあったのだ。
野村は「あらえびす」という別名でクラシック音楽評論も書いていた。大正13年、日本で初めてベートーヴェンの「第九」を聴いた一人であり、その感動を報知新聞に寄稿したのが日本初のクラシック音楽紹介記事になったとされる。また記者時代には夏目漱石、渋沢栄一、新渡戸稲造、原敬など明治の巨人たちに直接インタビューしている。藤井が面白いと語るのは、昭和38年まで生きた野村を通じて「昭和30年代の子供の頃、自分たちはまだ明治と繋がっていた」という感覚だ。歴史は教科書の中だけにあるのではなく、人から人へと生きた言葉で伝わっていく。そのことをこの話は、静かに教えてくれる。


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遅咲きの天才が証明した"人生の逆転劇"
49歳の第1作が26年・383編のシリーズになった野村胡堂の静かな革命稼いだお金を次世代に還す"知識人の美学"
富を自分のためではなく、未来に投じた男の品格"生きた歴史"が人から人へ伝わる話
夏目漱石に会い、ベートーヴェンを日本に届けた男を通して見える歴史の温度感
今回の話を聞いて、「遅すぎる」なんてことはないんだと改めて思わされた。49歳で書いた第1作が26年のシリーズになり、苦労した経験が晩年の奨学金支援に結びつく。野村胡堂という人の生き方は、点と点がずっと後になってから線になるような美しさがある。藤井先生が「美しい日本人の生き方」と表現したのが、すごく腑に落ちた。奥さんが昼休みに駆け足で家事をこなし、東洋史・西洋史・理科まで教えながら家族を支えていたというエピソードも、なんだか目に浮かぶようで胸に残りました。

国際政治学者。ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向、そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜くその予測能力は、内外の専門家から高く評価されている。
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